マリノはひと息ついて宿屋のカウンターの椅子に腰掛けると、外で静かに談笑するベルクートとダインを見た。簡単なベンチに腰かけている二人にマリノがお茶を出してからかなりの時間が経っていたが、大きな声で盛り上がる事もなく、本当にただ静かに、たまに思い出したように2、3言葉を交わすだけでゆったりと時を過ごしていた。
『うう…』
元来おしゃべりなマリノはそんなベルクートとダインを見ているだけでムズムズしてくるが、当の二人は全く何も気にする事がないようにリラックスしていた。
『うーっ、よく目の前に人がいるのにあんなに黙ってて間が持つわねえ! 信じられないわ!』
マリノがやきもきしていると、ダインが何という事もなさそうに何か言った。それにベルクートが短い言葉で応え、静かに笑いあった。あまり見たことがない表情に、マリノはふと気がついた。
『もしかして、ベルクートさんって静かな方が好きなのかしら?』
思えばいつも二人でいる時話しているのはマリノの方で、ベルクートは相槌を打っているだけの事が多かった…ような気がする。大概ベルクートは「そうですか」「それは良かった」「そうですね」ばかりで自分からは何も言わない…ような気がする。
『ひええ〜! だ、だってベルクートさん何も言わないんだもの!』
マリノは真っ赤になって俯いた。そんな事も知らず、ファレナの王子軍に剣豪ありとうたわれた二人は空の下のんびり和んでいた。
夜もふけて活気あるこの砦もさすがに静かに寝静まろうという頃。宿屋の一角でランプの明かりひとつを挟んでマリノがその日出た繕い物などをし、ベルクートが武具の手入れをしながら今日1日の事を話すというのがいつのまにか二人の習慣になっていた。約束して決めた訳でもないが、当たり前のように今日もベルクートはマリノの向いに座った。
「……」
マリノの話は天気の話から始まって、レツオウの料理、ゲッシュの畑、リンファが起こしたささいなもめ事、ランとスバルのケンカ、カイルがどこの女の子と話していたとか、ゲオルグがチーズケーキを皆買ってしまって拗ねたエルンストが部屋から出て来なくなった等等、いきいきと広がっていった。全てを腕2本で渡って来たベルクートには、そんな決して突飛な事など何もない当たり前に思える営みが新鮮だった。
「………」
しかし今夜のマリノは様子がおかしい。言葉少なで、モジモジして居心地が悪そうだった。ベルクートはどうしたらいいか分からず、心ここにあらずなマリノを見た。当のマリノは、物静かな雰囲気を保とうと悶絶していた。が。
『あーーーーーお話したい!! けん玉ひとつ残していなくなっちゃったメルーンちゃんをモルーン君が砦中を必死に捜し回っていたことなんて最高に可愛いんだけどなあー!
ううっ、でもガマンよマリノ! でもでもこれはまたオチが秀逸なのよね〜〜! さんざん捜し回って見つからなくて途方に暮れていたモルーン君の所にメルーンちゃんを抱いたカイルさんが現れて、怒ったモルーン君が持ってたけん玉見てメルーンちゃんが「あった!」って言って…!
メルーンちゃんとカイルさんはけん玉を探してただけなんだけどそれを持って捜し回っていたモルーン君と1日すれ違い続けただけの事だったのよね〜!』
クスクスと思い出し笑いを始めたマリノを、ベルクートはポカンと見た。視線を感じて我に返ると、マリノは咳払いをして作業を始めた。何も知らないベルクートはたまらなくなってマリノに向き直った。
「マリノさん」
「は、ははははいっ!?」
マリノが向くと、真剣な真直ぐな瞳にぶつかってドキッと心臓が跳ね上がった。
「今日のマリノさんは、何か思う所があるのでしょうか」
「え、ええっ?」
「申し訳ありません、私は…。恥ずかしい限りですが人の心がいまだわからない所があり…気付かないうちに失礼なことをしている事が…」
真剣に恥じ入っているベルクートに、マリノは慌てて言った。
「ちょっ、ま、待ってベルクートさん! いったいいつ何でそういう話になったの!?」
「いえ、その…。私には、今夜のマリノさんは言いたい事を秘めているように見えます。いつもだったら果てしなく色々と話してくれるのに、無理に止めているように…」
「ええっ、わ、私いつもそんなにしゃべってますか!?」
「え、はい…」
あまり物を言い切らないベルクートの肯定に、マリノは真っ赤になってモジモジと言った。
「あ、いや、そのうー、べ、ベルクートさん今日ダインさんとお話してたじゃないですか」
「え? あ、はい。そうですね」
「二人ともとても静かにしていたから、もしかしてベルクートさんその方がいいのかしらって…」
「え? 今日はダイン殿とかなり密度の濃い会話を交わしていましたが…」
「はい?」
ベルクートは嬉しそうに微笑むと、自分の身体の半分以上ある長剣を見た。
「地を踏むと天が空くもので…」
「はっ? べッ、ベルクートさん?」
「はい?」
「テンとチ?」
「あ…、えー、私は剣を構える時、重心を落とします。その下に落とした力を利用することで前に進んだり剣を振ったりする力を増す訳です。これが地を踏むと言う事です。逆にダイン殿は重心を上げて、剣の長さと重さを振り落とす事によって威力を増します。これが天です。私は重心を使いますから速く、敵の先手を打つのに長けている実践的な戦い方ですが、実はこれは格闘や短剣向きで長剣では隙ができやすく、いえ、それでも重心と剣の力が噛み合えばいいのですが私はまだ修行が足りないのでまだまだ…。ダイン殿は長剣の長さと重さを最大限に活かした戦い方なのですが上向いた重心を支足で押して前に進むので相手に悟られやすいという欠点がありそれで…」
「ちょ、ちょちょちょっと待って下さい、ベルクートさん!」
「はい?」
「…と、いう会話をしてたんですか?」
「はい、まあ、全てを言えば」
「……」
剣を日常的に振っていると、これだけの事が『チヲフムトテンガなんたら』で通じてしまうらしい。マリノはきちんと説明してくれても何の事やらさっぱりだったが、当たり前にやっている歩き方を言葉で説明すると存外長くなるような事なんだろうと思った。
「まあ、言葉は多くならないわねそれは…」
「マリノさん?」
「ああ、いえ…。なんだ、ベルクートさんって頭の中では結構色々な言葉があるんですね」
「え?」
「私うるさいと思われてるかと思っちゃったんです。だってベルクートさんからはあまり何も言わないし」
「それは…。私は剣の事しか知らないからです。他の事は何も知らないから。ダイン殿はお互い言いたい事が全て分かるので、話していて楽なのです」
「ベルクートさん」
「マリノさんが話してくれる事は私には全てが不思議で…嬉しいです。いつまでも、いつまでも聞いていたいです」
「……」
それ以降、真っ赤になったまま何も言わなくなってしまったマリノに、ベルクートはずっと名前を呼び掛け続けた。
おしまい。