「おい」

 砦のいつもの場所で待機していたベルクートは、あまり愛想がいいとはいえない呼び掛けに向くと、声に違わぬ人相の長身の男が立っていた。

「ミューラー殿。何か御用ですか」
「用がなければ声なんぞかけん」
「それはそうですね」
「……」

 バカ正直なやつ、と思った事は口に出さず、ミューラーは用件だけを言った。

「手合わせを願いたい」
「手合わせ、ですか?」

 とまどったようなベルクートに、ミューラーはニヤッと笑った。

「言い方が気に入らんなら、稽古だ。どうだ」
「……」

 ベルクートが何か言いかけた時、宿屋の扉が派手な音を立てて開いてマリノが飛び出して来た。

「こらーーーー!!」
「マリノさん!?」

 ベルクートと目を見開いているミューラーの間に割って入ると、マリノは頭2、3個分上に向かって叫んだ。

「ちょっとあなた、ベルクートさんに何するつもり!?」
「あァ?」
「こっ、こここわい顔したってだめよ! この砦では、というかうちの宿の前でもめ事はだめなんだから! 喧嘩したら王子さまに言い付けるんだから!」
「……」

 何だこいつは、というミューラーの目を受けて、ベルクートは苦笑して言った。

「マリノさん。彼は私に手合わせを申し込んできただけです」
「てっ手合わせっ!? 決闘!?」
「いや、そうではなくて…」
「ハハハ、しかたないよー。ミューラーさんは笑っただけで裁判で実刑確定の顔してるから」
「……リヒャルト」

 橋を渡って来た少年をギロリと睨み、ミューラーは吐き捨てるように言った。

「何しに来た」
「ミューラーさんあるところ僕ありです」
「帰れ」
「ひどいなあ」
「いやなら死ね」
「ミューラーさんが殺してくれるならいくらでも」
「……」

 マリノの視線に気付いたミューラーは、リヒャルトを無視してベルクートに言った。

「そういう事だ。剣を抜け」
「どうも、穏やかな物言いではありませんね。ミューラー殿」
「性格だ。気にするな」

 ドンゴの所で調達して来たらしい剣をスラリと抜くと、ミューラーはぴたりとベルクートを見たまま言った。

「どけ、女。殺すぞ」
「……ベルクートさあん」
「大丈夫ですよ、マリノさん。そちらへ」
「…うん」

 心配そうなマリノに微笑んで、ベルクートは剣を抜いてミューラーと相対した。

「わあっ、ミューラーさんの剣さばきがひさしぶりに見られるなんて、 うれしいなあ!」
「……」

 本当に嬉しそうなリヒャルトを横目に、マリノはハラハラしながら二人を見た。

「いくぞ! 」
「ハッ!」

 打ち込んで来たミューラーの剣を薙ぎつつ、ベルクートは長身をかがめて重心を落とした。返す剣を低い体勢のまま受け、下に溜めた体重を込めて打ち返す。

「クッ」

 溜らず振られたミューラーが体勢を立て直す間にベルクートが地面を蹴り、間合いを詰める。ミューラーはそれを知っていたかのように身をかわし、また剣を打ち込む。

「わーっ! ミューラーさんかっこいいーー!! がんばってーー!!」
「〜〜〜〜っ」

 剣が打ち合う乾いた音があたりに響く。稽古、などという平和なものではない事はマリノの目から見ても明らかだった。二人の剣が弾けあうたび、動きが速くなっていく。丸で相手がどうするかわかっているかのようにベルクートとミューラーの動きはピッタリと合っていて、その分ひとつ間違えたら切っ先がどちらかの身体をすぐ裂いてしまうように見えた。

「ベルクートさん…」
「……」

 カン、カン、カンという音の間隔が短くなっていくにつれ、無邪気に騒いでいたリヒャルトが何も言わなくなっていった。見ると、大きなきれいな目(マリノは目が合うと、どこか一点をじいっと見るともなく見ているあかんぼうのような目だなと思う)が二人の動きをぴったりと追っている。マリノは不安になって声をかけた。

「ね、ねえちょっと…」
「……」

 リヒャルトの背中と肩が、しなやかな獣のように緊張している。マリノは二人とリヒャルトを交互に見た。不安でたまらない心を抑えるかのように叫ぶ。

「ベルクートさん!」

 その時、ミューラーの剣が低くかがんだベルクートに向かって打ち落とされた。ベルクートの青い瞳がマリノが見た事もない力強さでぎらりと光った時、リヒャルトが二人に向かって飛び出した。

「えっ?」

 マリノがまばたき終わらないうちに、ベルクートが脇腹を、ミューラーが眉間を、それぞれの剣が寸前の所で止まっていた。声も出ないマリノを置いて、力の持って行き場を失ったリヒャルトがよろよろと進んだ。

「あ、わ、わ」

 つんのめって転びそうになった所をミューラーの身体にぶつかって止まる。じろりと睨まれて、リヒャルトはエヘヘと笑うと切っ先を当てられたままのミューラーの胴体を抱いた。マリノは我に返って慌ててベルクートに駆け寄った。
 リヒャルトの頭を掴んで引き剥がしながらベルクートから剣を引くと、ミューラーは青い瞳を見たまま言った。

「おい、ベルクートとか言ったな。リンドブルム傭兵団に入れ」
「え、ええっ!?」

 突然の申し出にベルクートより驚いたマリノは、ミューラーの顔を見た。ベルクートは安心させるようにマリノの手を取って立ち上がると、まっすぐミューラーを見て言った。

「勿体無いお話ですが、それはできません」
「フン…」

 視線を受け止めながら、ミューラーは皮肉ったように笑って言った。

「そういえばお前、闘神祭に出ていたな…。フッ、願いかなわず、次は王子に士官しているのか。騎士になるつもりか? なら、あきらめろ。騎士って言うのは強さだけじゃない。様式がいる。お前のその化けの皮の下にある、痩せて飢えた狼のような…闘技奴隷の技は隠せんぞ」

 マリノは自分の手を握るベルクートの手の力が少しだけ強くなったような気がして顔を見た。いつもの穏やかな様子のまま、ベルクートは答えた。

「何でもお見通しなのですね。でも、すこし違います。私は王家に士官するつもりはありません。まして騎士などとほうもない話です。実際女王騎士の方々にお会いして、闘神祭への挑戦が身の程に余ることだと思い知りました。」
「……」
「私には、一生をかけても遂げると心に決めたことがあります。最初ここに来た時は成りゆきでしたが、それを賭ける事ができる方がこの砦の王子であると今は確信しています。だからここにいる、それだけのことです。リンドブルム傭兵旅団に何か足らないという事ではありません」
「フン」

 ミューラーは剣を鞘に収め、乱れた髪を直そうとしてくるリヒャルトを振払いながら言った。

「お前の人生の目標など興味はない。ただ、お前がリンドブルムに入るのが一番自然だと思ったまでのことだ」
「……」
「当てがはずれたのならいい。だが、お前が戦いに生きる日々を見出す日が来た時は、必ずリンドブルムに来い。絶対に他に行くなよ。行ったら、俺がお前を殺す」

 言うだけ言って、ミューラーは踵を返して行ってしまった。リヒャルトはミューラーにとりついたまま、じいっとベルクートを見てベロッと舌を突き出した。

「なっ?」

 驚いているマリノを横目に、二人はなんやかんや言いながら行ってしまった。

「なっ、なんなの!? 傭兵の人たちって皆ああなの!? ねえベルクートさ…」
「…っ」
「きゃっ」

 後ろに静かに立っていたベルクートに突然抱き着かれた。ベルクートは深く息を吐くと、 かちかちに固まっているマリノの頭に額を当てて声を漏らした。

「は…。すみませんマリノさん。しばらくこのままで…」
「どうしたの!? ベルクートさん、どこか痛いの!?」
「そういうことではありません…。少し気が抜けて…」
「ベルクートさん」
「……世界は」
「え?」
「世界は広いですね。強い人だった…」

 マリノは聞きたい事が沢山あったが、何も言えずにベルクートの長い腕に手を当てた。闘神祭に出て、闘技奴隷そのものを無くすと言っていた。王子がこの国を取り戻したら、きっとそうなるだろう。その先は…。

「…」

 ベルクートが選んでいく事を、マリノが止める事はできない。今はただ、こうやって受け止める事しかできない。それでもマリノは、どうしようもなく幸せだった。




「ミューラーさん、さっきの本気ですか」
「何が」
「リンドブルムに来いって」
「お前には関係ない」
「あります。おおありです」
「ねえっつってんだろ」
「あんなに熱心に誘うミューラーさん初めて見ました」
「だからなんだ」
「僕は大いに面白くありません」
「あァ?」
「僕はあんなに熱烈に求められた事ありません!」
「何言ってンだお前は」
「ミューラーさん、僕強いですよ! 勝負しましょう!!」
「〜〜うるせえ! 死ね!!」

 夕暮れの砦に頭を殴る鈍い音と、幸せそうな叫び声がこだましていた。

おしまい。