沢山の人間が様々な仕事をしているこの王子軍の城の食堂は人が絶える事がない。リヒャルト,ミューラー、ヴィルヘルムが席に着いたときもほぼ満席状態だった。

「ちょうど席が空いてよかったですね、ミューラーさん!」
「イチイチ言わんで良い」
「あーーーなんだよもう、こンだけ人がいて女の子が一人もいないってなァどういうこった! 味気ねぇなぁ」
「ああそういえばそうだなあ。僕全然気がつかなかった。さすがヴィルヘルムさんですね、ミューラーさん!」
「イチイチ言うなというのに」
「あの、すみません。相席いいでしょうか」
「ん?」

 控えめな声にヴィルヘルムが向くと,食事の乗った盆を持ったオボロが立っていた。ヴィルヘルムはあからさまにつまらなさそうな顔をしたが、ふと何かに気付いたように手を打つと,いかつい無精髭顔をヘラリと笑わせて席を勧めた。

「おういいぜ! 空いてる所に座れ座れ」
「では、失礼して…」
「…チッ」

 ニコニコ笑っているヴィルヘルムの隣で苦虫を噛んだような顔をしているミューラーにオボロは席に着きながら苦笑して言った。

「気に障るようなら他へ行きますが…」
「いや、いーんだいーんだ! こいつは誰にでもこうだからよ! 気にすんな!」

 ガハハと笑うヴィルヘルムに、ミューラーは増々眉間のしわを深くして言った。

「俺は足音がしないヤツには近寄らない事にしてるんだ」
「足音?」

 リヒャルトは首を傾げて、ミューラーがじっと見ている男の顔を見た。オボロは静かに笑っている。

「武器も太い腕もない。傷もない。足音と気配がない。そういうやつが戦場にノコノコ出て来てやることは一つだ」
「なんですか?」
「暗殺」

 オボロの表情は変わらない。ミューラーは油断なくオボロを見たまま低い声で言った。

「ここの王子がそんな戦法を使うとは思えないから何か違う使い出で貴様はこの城にいるのだろう。だが俺には感じる。貴様の身体に染み込んだ、忌まわしい感じ。血と力を賭けて戦場に出て来た俺たちを、背後から近寄って血も涙もなく無かった事にしたあの…」
「ミューラーさん」

 声に向くと,テーブルの上で固く握られたミューラーの拳に、リヒャルトが全くいつもの表情のまま両手を置いていた。ミューラーはそれをペッと弾いて,再びスプーンを取って深い色合いの焦げ茶色のシチューに刺した。

「俺は戦いしか知らないろくでなしだが、貴様は…貴様らは,戦いをなくすとうそぶきながら全てを無かった事にしてしまうひとでなしだ。あの人のいい王子がどう思おうと,俺は絶対信じない」
「……」
「ハハハ! ろくでなしにひとでなしか。そりゃいい。そんな軍,誰も勝てやしないぜ!」

 ヴィルヘルムが豪快に笑い飛ばすと,ミューラーは舌打ちしてそれっきり黙った。オボロは静かに笑っていたが、機嫌良く食事しているリヒャルトに問いかけた。

「君は、幾つだい」
「17だよ。ね、ミューラーさん」
「若いね」
「よく言われる」
「故郷とかあるのかい」
「覚えてない」
「そうか」
「故郷あるの?」
「ないよ。でも、家族がいる」
「へえー」
「しっかりした奥さんと,面倒くさがりな息子と,優しい…優しすぎる娘」
「ふうん。でもあなたは地獄へ行くんでしょう」
「ほう?」
「ろくでなしとひとでなしは地獄行きだよ。僕はミューラーさんと行くから幸せだけど、家族の人はかわいそうだね」

 リヒャルトは天気の話でもするようにそう言うと,切り分けた肉を口に入れた。オボロはスプーンを置いて,水が入ったコップを手に取って揺れる水面を眺めた。

「そうですね。私は間違いなく地獄行きでしょう。しかしそれなりに、家族の為にやる事がまだあるのです。…そう、彼らだけはまだ、太陽の下を生きる力がある。だから私は」
「……」

 ミューラーが不快そうに眉をしかめた。リヒャルトはそんなミューラーの顔をうれしそうに見ている。

「まあそんなことはいいんだけどよ」

 ヴィルヘルムが思いっきり話の腰を折った。

「あのー、いつも一緒にいるかわいい子いるじゃねえか」
「フヨウさんですか?」
「そっちじゃねえよ! ホラ,いっつもニコニコ笑ってる、静かな感じの…」
「サギリですか」
「そーそー! その子どうしたんだ? 食事は?」
「ああ、私と入れ違いで…つまり、あなた方が来る前に終えて部屋に戻りましたよ」
「な、何ー!? それを先に言えっての!」

 ヴィルヘルムは一気にオボロに関心を無くしてだらだらとスープを掻き回した。それを見て,ミューラーは舌打ちした。

「ケッ,そんなことだろうと思ったぜ」
「あーつまらんつまらん…。明日死ぬかもしれねえってのになんでこんなおっさんと」
「ハハハ、すみませんねえ」
「ああっ、ヴィルヘルムさん、ミューラーさん、僕まだ食べ終わってません!」
「知るか」
「待ってくださいよう!」

 料理をできるだけ口におしこむと、リヒャルトはさっさと行ってしまった二人を追って行った。

「まぐむぐうぐまぐ!」
「何もなくてもうっとおしいのに、口の中に何かあるときまで喋るんじゃねえ!」
「あー、なんかやる気出ねえな〜。ナンパでもすっかな」

 去って行く三人を見送って,オボロはひとり微笑んでまたコップの水を眺めた。