鈍行列車
鈍行列車というのは毎日の通勤にせよ旅で利用するにせよ、そんなにドラマティックな舞台にはなりえない。通過点のひとつとか、浮き足立たずにゆっくりする贅沢とか、無用なドラマを排し心の平和を暖めるためのものだよなあとか思いながら、益田は隣でこっくりこっくりと舟をこいでいる探偵を見た。
「……」
車両中の視線を感じて、益田は増々顔を渋くして目をそらした。平和と安寧と退屈でできた車両内は、ともすればふいに現れたドラマティックを総出で引き立てる。益田はのしかかって来る注目の人の体重を押し戻しながらため息をついた。
『だからいやだって言ったのに〜〜。どこに行く訳でもないのに汽車にのりたいからのるなんて、ちびっ子じゃあるまいし全くもう』
口の端からよだれをちらつかせながら、時たまふいにトラの仔のような声(聞いた事ないけど)で大あくびをするのに、なんだってまあ女の人は皆あんなうっとり顔で見とれているんだろう。こっちはちゃんと目を覚ましてきちんと座っているっていうのに、どうにも不公平だぷんぷんなどとぶちぶち心の中で言いつつ、頭の方ではどうもこういう風景を見た事があるなあとぼんやり考えていた。そう、こんな当たり前の列車の中、ふいに。
『……ああ』
思い当たって、益田はちょっと遠くを見た。夕暮れ時の列車の中で、声も出さずに泣いている女の人がいた。それだけのことだったけれど、ポロポロとこぼれ落ちる涙が退屈と引き換えの平和を疑いもしない小さな世界で、なんだかやたらとキラキラしていて…。
「…え」
視線を感じて見ると、榎木津が体重を預けたままこちらを半目で見ていた。何故か動揺しながら益田は榎木津を見返した。
「な、なんですか」
「誰だ、その人」
「へっ」
何を言われているのか、理解するのに数秒かかった。やっと思い当たって、益田は困ったように言った。
「誰ってことはないですよ…。ほんとに通りすがりの知らない人で」
「ふん。お前はオロカだから、自分よりちょっとかわいそうな女の人がスキなんだ。許してくれそうな感じがして」
「何言ってんですかあんたは」
「ふん」
榎木津がとても不機嫌な顔をした時、鈍行列車はシュウと駅に止まった。すっと立ち上がって、慌ててついて来るお供を引き連れて列車を降りていくまで、ドラマティックな探偵は車両の視線を集め続けていた。