それは勘弁してください


 まるで年貢を取り立てていく代官に泣きつく農民のように益田は床に膝をついて榎木津に哀願した。

「榎木津さん! そ、それはちょっと勘弁してください! あの、なんというか心の準備というものが」
「なんだ、この期に及んで。お前ここ最近ずっとそんな感じだったじゃないか」
「いやその、考えた事がないと言えば嘘になりますけれども、ほんとうにそんな事になるなんてその」

 榎木津は冷たく益田を見下ろしたまま、フンと鼻で笑って背後のこの部屋のドアのカギをカチリと閉めた。

「え、ええ榎木津さん〜。本気ですかあ〜」
「そんなにイヤならこの部屋に入らなければいいだろう。なんなんだお前は。僕はお前の首に縄をかけて引っ張り込んだ訳じゃないぞ。自分からノコノコ来たくせに、僕のせいにするな」
「そ、それは…。でも…だって…」
「でもとかだってとか大嫌いだ。いい気になるなよ。いくらマスオロカでも許されない事はあるんだからな」
「僕からでもとだってを引いたら8割がなくなりますよう」
「お前にのこり二割も他の何かあるもんか。うぬぼれるな」
「ひどいーー」
「もうお前うるさい。黙れ」

 榎木津は片膝をついて身を屈め、益田の顔を覗き込んだ。益田は、ああ大体同じポーズで相手を見ているのに、この王子と乞食並の違いは何だろうと考えていたが、ぐいと顔を近づけられて頭が真っ白になった。こんな時こそバカとかカマとか言ってあしらってくれないと、すごくいたたまれない。無言で固まっている益田に、榎木津は小さく言った。

「なんで来た」
「えっ」
「ここに来たからには、僕は絶対お前を逃がさない。けれど、お前はオロカだから、泣く事になっても辛い事になっても最後には僕を拒む事はできまい。わかっていても僕はどうにもできない」
「……」
「考えた事があるなら頭のどこかでどうなるか想像がついただろう。なのに何で来た」
「…だ、だって…」

 榎木津の左目の下瞼が不快そうにピクッと動いた。益田は一瞬口ごもったが、モゾモゾと言った。

「ここに来た後の事は想像ができるけど…。行かなかった場合の後の事が何もうかばなかったので…」
「……」
「行った方がいいかなと…」
「ふうん」

 冷たいとも、怒っているとも、それ以外ともとれる顔を見ていたら、益田の肩に手を置かれた。

「……」
「益田」
「っ」

 益田は弾かれるように立ち上がって叫び声ともつかない声を上げて扉に飛びつき、カギをバチンと開けて部屋の外に飛び出した。バンと閉められた扉を榎木津がポカンと見ていると、すぐ少しだけ開いて益田が顔をのぞかせた。

「……」
「……」

 間抜けな沈黙の後、益田がぽつりと言った。

「ご…ごめんなさい…」
「ーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!」





「あのねえ益田君。君のそういう煮え切らない所が君の持ち味だと僕も思うけどねぇ。そんなことのために家具が破壊されるのはかなわん訳だよ。っていうか泣いてても家具はなおらないんだよねえ。聞いてるかい益田君」
「………」

 榎木津が虎のような咆哮を発しながら事務所で暴れ回る間、益田は台所で体育座りで泣きながら和寅の愚痴を聞いていた。


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