5.何か変わった?
「ふーむ」
口をへの字にしてむうと考えた後、鳥口は益田の両耳をつまんでひっぱった。
「あたたたた! な、なにをするんです鳥口さん!」
「益田君、きみ、変わったよね」
「えっ?」
「箱根のお坊さんの事件の時は刑事さんなんてしてたから、当然と言えば当然なんだけど。今思うと信じられないけどね」
「大きなお世話ですよ」
「まあまあ…。そんなに前の事じゃなくて…最近ふと変わったような気がするんだけどねえ。うーん」
耳を掴んだままの鳥口の手を外しながら益田は答えた。
「大磯の、あれからじゃないですか…。 僕としちゃあある日突然扉を開けたように変わったつもりはないんですけど、個人的に一番はっきりしていることがあったのはあの時ですから」
「ほう、はっきりとしていること」
鳥口は体格の割に人好きのする目で益田を覗き込んだ。教えてもらえるものと思っているその人なつこい表情に益田は少し困って口を尖らせた。
「いいじゃないですかそんなこと…。知ってどうするんです」
「やあ、個人的な興味と言うか…。ねえ?」
「単に覗き見趣味じゃないですか。俗だなあ」
「そりゃあ僕にとっちゃ最高の褒め言葉で。エッヘッへ」
「全くもう…。うーん、ホントに大した事じゃないんですけど…。榎木津さんに『分相応のことをしろ』と言われまして。そのとおりだなあと」
「分相応?」
「…言っちゃうとそれだけのことなんですよねえ。ごくごく当たり前の…。でも、まあ、僕はそんなことでちょっと悟ったような気になった訳です。それだけのことですよ。がっかりしました?」
「いやあ、…それはすごい話じゃないか、益田君」
「は?」
「あの、孔雀が鈴とでんでん太鼓つけて歩き回ってるような大将が…。たとえば君、それを僕や青木君が言われたと言ってたらどう思う」
「…」
益田は少し考えた後、食べたことがないものを食べたような顔をした。
「…何かとんでもないことの前触れかと思いますね」
「でしょう? すごいなあ、君の何が大将にそんなことを言わせたんです?」
「うー、えー、あー、僕がどうとかじゃなくて…。そこに至るまで色々とありまして。…なにメモ帳とか出してんですかっ。僕の事ならいくらでも教えてあげますけど、榎木津さんの個人的な事が絡んでるから何も言えませんよ」
「まあまあ。記事にする訳じゃないんだから!」
「よけい悪いですよ! もー、大した事じゃホントになくてですね、榎木津さんにも過去人並みに好きだった人がいてですね、榎木津さんはただその人を探していただけなんですけど、僕の方は変な情報が入ってたからなんかものすごい陰謀でもあるんじゃないかと考えなくてもいいことを沢山考えてどん詰まりに心配になってて、そこで言われたってあああ、言っちゃうとホントにそれだけのことなんだよなあー」
「うへえ、今日の君の口は信じられない事ばかり吐き出すねえ! なんだって、榎木津さんが好きだった人だって? 本気かい?」
「失礼だなあー、気持ちは分かるけど」
「すごいねえ、榎木津の大将の方が探すほうになっちゃう女性なんてこの世にいるのかい? あの大磯の連続殺人事件にそんな話が絡んでいたとは驚きだ。君はその女性と会ったのかい?」
「会ったもなにも…。っていうかあれは連続殺人じゃ…ああ、外から見ればそうとしか思えないか」
「会ったのか。どんな人だい? 美人…だろうね。榎木津さんを袖にするような人なんだから」
「袖にしたなんて誰も言ってませんよ。色恋だけで追ってた訳じゃないし。ないともいえないけど…」
「ややこしそうだ。すれちがいってやつかい?」
「うー、まあ、そうといえばそうだけど…。うしろめたいことがあると、榎木津さんとは会えないでしょう。好きなら尚更」
「ああ、視られちゃうのか」
鳥口はそれで色々と察したようだが、益田の心には何かモヤモヤとしたものが残った。それだけといえばそうなのかもしれないが、それも乱暴な気がする。聡明そうな美しい女性の横顔を思い出す。榎木津と出会わなかったらさぞ上等な人生を歩んだ事だろうと思ってしまった後軽い自己嫌悪を感じていると、鳥口がいかにも蚊帳の外という感じで言った。
「その人は目で見える事が一番大事な人だったのかな?」
「えっ?」
「数字とか、成績とか、愛情の証明とか、そういう見える事に最上の価値を感じる人間って、過ちを見られる事を最大の恥にするんじゃないかなあ。大将はそういう人とつきあえないでしょう。榎木津さんに追いかけられて逃げる女性なんてそうだとしか思えないけどねえ。そう考えると大将も中々業が深いよね。益田君みたいに、見えないものに価値を感じている人じゃないと一緒にいられないんだから」
「えっ、僕? 見えないものですって?」
鳥口はにっこり笑って親指で自分の心臓のあたりを差した。
「ここだよ、ここ」
「なっ、なにいってんです、バ、バタくさいなあ」
「バタくさかろうが、みっともなかろうが、流行らなかろうがね…。君だったら、榎木津さんを裏切っても、嫌われるような事をしても、殺されると分かってても、あの目の前にちゃんと行くだろ」
「…褒めてるんですか? それは」
「ははは、君の愛すべき所じゃないか! 榎木津大明神が思ってても実際分相応なんて言葉を吐くのはきっと君くらいだぜ」
「何をいってるんだかなあ、もう」
背中をバンバン叩かれてすこしむせながら、益田は哀れとも、数奇とすら思えないけれど何か思わずにはいられないあの女の人の事を考えていた。確かに自分は逃げても隠れても存在を消すことはしないけれど、だからと言って彼女が弱いとか悪いとか割り切る気にもなれない。
やりきれなくてため息をついた益田に、鳥口は言った
「君が変わった事情はわかったけどね。それくらいで悟った気になってちゃいけないよ、益田君。君のその愛すべき所は、弱点とガッチリ裏表で君が君である限り多分それが変わる事はないからねえ。そんな面倒な君を、引き受けてくれたのもまた榎木津の大将なんだぜ。せいぜい往生したまえよ」
完全他人事の気楽な物言いに本当に腹が立ったので耳を引っ張ってやったら、鳥口は笑いながらうへえと鳴いた。