B-2 もう少し待ってて
「〜〜もう待てない! 今日という今日という今日は! 僕の気持ちに答えてもらうぞバカオロカ!」
「そ、そんな〜」
いつになく昂って仁王立ちになって見下ろして来る榎木津を、益田は床にぺたりと座り込んで絶対返せない負債者のような目で見あげた。「答える」というのは受け入れるか受け入れないかの2択ではなく、「応じろ」という厳命に他ならない事をよくわかっていたので、益田は哀れな声を上げて榎木津の脚にとりすがった。
「ちょ、ちょっと落ち着いてください! どうしたんですか、そんな、突然」
「突然だと!」
榎木津は美しい目と眉を吊り上げて怒鳴った。
「この僕にオロカごときがこんなにも待たせておいて! 何が突然だっ! 全然突然なんかじゃないぞ! オマエなんかがのらくらのらくら逃げるから僕が我慢なんてするはめになるんじゃないか! いいかげんにしろ!」
「そ、そんなむちゃくちゃな…」
「むちゃくちゃなのはオマエだ! さあ! はやくしろさあさあ!!」
「ひいい〜〜」
益田は両手て頭をかばうようにして涙目で考えた。はっきりしろって何をするかこの神様はわかってるんだろうか。いや、きっぱりはっきり分かっているのだろう。そのミもフタもなさにまた益田は萎縮するが、構わずに榎木津は言いつのる。
「どっちがいい」
「はっ?」
「する方とされる方だ」
「ブッ」
「どっちにしろちゃんといいようにしてやるから選べ。どうせお前は妄想男だから何もできないだろうし」
どこに突っ込んだら良いかわからないひどい言いように呆然とする。が、わずかな年月の幾ばくかの付き合いと、益田の中にある慕わしいような気持ちが、榎木津がいつになく焦っていることを察させていた。
暴力にも脅しにも理不尽にも弱いが、それ以上に情に弱い益田は進退窮まって固まった。
「………」
涙目のまま、益田は拳を握った。いくら榎木津の言う事でもできないことはできないし、持ちえないものを差し出す事はできない。でも、何か逃げ出す気にはならないのだから、…本当にそう思ってくれている(何を考えているのかわからないがそういう事だけは本気な事はわかるのがやっかいだ)気持ちに、背を向けるのがどうも後ろめたいのなら…応じてみてもいいんじゃないだろうか。
「ん?」
目は床を見たまま、益田は天性の人の良さを発揮してはたりと自分の手を榎木津の手にかさねた。ひしひしと凝視を感じながら、なんとか顔を上げる。何だか正体がわからないものでも、後で何かついて来るものがあるかもしれない。…多分きっと。……おそらく。
「榎木津さん」
「む?」
「す、すすすすすす」
「す?」
「すきです」
「むむっ?」
目を瞬かせている榎木津の手を両手で握りしめて、恥ずかしさでひきつる頬を抑えるようにこらえながら、じっと見上げる。榎木津はポカンと見ていたが、やがてみるみる文字どおり気付きたくないものに気付いた顔になっていった。
「…おい」
「ははははい」
「まさか僕にもそれを言えと」
「そ、そのくらいいいじゃないですか」
「なんで僕が!」
「これから巻き起こる事にくらべたらなんてないことじゃないですかあ! っていうか何気にひどくありませんかその言いようは!」
「わざわざそんなこといわないとそんなこともできないのか!」
「何か安心したいんですよう!」
「お前、僕の何を疑ってるんだ!」
「何も疑わずに信じろという方がどうかしてますよこんなこと!」
「何とも思ってなかったらお前の貧乏な身体なんかいるか!」
「ひっひどい! どんな身体ですかそれは!」
「そのまんまだバカオロカ! ほんっとに気持ち悪い男だなお前は!!」
「それならそれでいいから、言葉にしてくださいよう! それを励みにがんばりますから!」
「なにーーーっ! そっちこそ僕の身体を何だと思ってるんだ!」
…大層身も蓋もないやりとりを続けた後、半ベソをかきながらも決して折れる気配のない益田に業を煮やした榎木津が、あきらめたように息をつくと、広げた右手をかざして不機嫌に言った。
「…わかった。わかったから、少し待て」
「えっ?」
「むうー」
「……」
向かい合うように床にあぐらをかいて、榎木津はひたとへたり込んでいる益田の目を見た。
「……」
「……」
なんともまぬけな沈黙の中、益田はなんとなく正座などしてみたりして向かい合ったが、榎木津はピクリとも動かない。「死んだんじゃないか?」と益田が思い始める頃唇がムヤムヤと動き出すが、来たか、と身を乗り出すとぱたっと閉じてしまう。
「…あのう」
「何だ」
「…そんなにむずかしいことですか…」
「むずかしくない」
「ならその…」
「きっかけがつかめないだけだ」
「むずかしいんじゃないですか」
「そんなことない」
益田は疑わしそうな顔で上目遣いに伺っていたが、ふと気付いた。
『うーんもしや…。榎木津さんって言われた事はあってもちゃんと言った事はないんじゃあ…』
何か思ったより重大な事を振っていたらしいが、今更いいと言っても聞き入れないような気がするし、さてどうしたものかと思っていたら、榎木津がふいに目をそらした。
「榎木津さん?」
「……おまえなんかキライだ」
「えっ?」
「……すごくめんどうくさい」
「はあ」
益田は何故か申し訳ないような心持ちになって来て、正座したまま膝を摺り合わせながら近寄った。
「すみません、あの…」
「すみませんだと」
じろりと睨まれて、声をのみこんだ。あまりの威風堂々とした「スキって目を見て言えない」っぷりに益田は何だか脱力して、正座を解いてあぐらをかいた。
「何笑ってる」
「笑ってませんよ」
「む」
床に右手をついて顔を近づけると、あからさまにイヤそうに顔を背けるので、よいさと左手を榎木津の腰をまたいで反対側の床につけ、尚身を乗り出した。
「むむ」
何が悔しいのか口を固く閉ざそうとするのがおかしくて、笑いをこらえながらキスした。榎木津がむーむー言いながら顎を引いてまた逃げようとするので、バランスが崩れて益田がのしかかる格好で倒れた。
「……」
「榎木津さん?」
「何かちがうぞ」
「はい?」
「僕が考えていたのと違うな」
「はあ。…なにが違うんでしょう」
榎木津は眉を寄せ、器用にも口をへの字に曲げたまま答えた。
「最初はごちゃごちゃ言ってるお前がそのうちに//注:文字に書き起こすにはためらわれる表現が使われているので中略させていただきます//で、そこをそうするもつもりだった」
「………………」
「なんだ、うれしいのか」
「……いえはっきり言われると衝撃が……」
「やっぱりその方がいいんだな。うん」
「へっ? そんな事僕は一言もって、うわっ!」
あっと言う間に体勢を入れ替えられて床に転がされ、榎木津が上から見下ろして来ている。魅力的な唇に舌が這うのを見て、ああ、似合うなあなどと思いつつ、益田はおそるおそる聞いた。
「あのう」
「何だ?」
「……もしかしなくてもさっきおっしゃったこと全て実行なさる気だったりなさいますか…」
「ん? 足りないのか?」
「いえ! いえいえいえいえそれで十分です! 他には何も、えーもう何も」
「そうかそうか」
「エッ」
「それなら最初からそう言えばいいんだ」
「エエーッ! っていうかいつのまに僕がこっちな事になってるんですかァァ!」
「もううるさいお前」
「ひどいー! あんまりだーーっ!ひ、人の気持ちにつけ込んでーーー!!」
「うるさい…」
「ムー!」
そして。
「…あの榎木津さん」
「なんだ」
「…別に無理して言わなくてもいいんですよ」
「お前がいえって言ったんだろ」
「はあ。…よかったら、せーのとか言いましょうか?」
「要らん」
「でもさっきタイミングがどうとかって…」
「ちょっと黙れ」
「……」
スキと言えないおじさんに押し倒されたまま、益田は何度目かのため息をついていた。