穏やかな時間
泥から這い上がるような気持ちで薄く目を開けると、薔薇十字探偵社の榎木津の私室の天井が見えた。ため息をつきながら顔を横に向けると、一糸まとわぬ榎木津が、ぐうぐうと幸せそうに蹴飛ばした毛布の上で四肢を放り出すようにして寝ているのが見えた。
「ぶっ」
益田は動揺しつつも指一本動かす気にもなれず、目を逸らしてまたため息をついた。身体の上で起こる嵐を目を閉じて…たまに恥ずかしい言葉のひとつも吐いていたような気もしつつ、じっと過ぎるのを待っていたのに、何も言わないのをいい事に(それにしたって何が言えようか)散々好き放題されてしまった。しまったのに、いまだ腰の奥がじくじくとした熱があるのが恥ずかしい。
「……」
カーテンから漏れる朝日が濃くなればなるほど、素肌に触る毛布への違和感が大きくなって行く。下着だけでも、と無理矢理上体を起こして首をめぐらせると、榎木津の暢気な寝顔の向こうの、ベッド越しの床にぽつんと落ちているのが見えた。そのむこうにズボン、ネクタイ、シャツと扉からこちらにてんてんと落ちいてるのを見つけて死にたくなる。いけない。ああいう事になった後の朝というのはどうにも穏やかすぎていけない。どんなに熱くなったって、朝になればいい年した男が2人ハダカで転がっているのである。こんなにバカなこともない。
益田は自分にかかっていた毛布を起こさぬようにそっと眠る虎の子にかけると、いつもならそんなことはしないのに疲れ切っていたのでつい無精して榎木津の身体を跨ごうとした。
その時、文字どおり榎木津がぱちりと目を覚ました。
「あ…」
榎木津の見開いた目はすぐに眠そうにとろりと溶け、緩慢に瞬きしていたが、大体の状況を把握したのか、顔全体でにたあと笑った。
「あ、え、榎木津さん、違いますよ、これは違うんです、…ぶっ!」
「んー」
「榎木津さあん!」
問答無用で抱き締められた益田は食虫植物にとらわれた虫のように身体を固くしたが、榎木津はクマのぬいぐるみを抱くように怯える下僕の首に腕を回して、額にキスなどしつつ髪を優しく撫でてきた。
「か、勘弁してください」
「うふふん」
「もう朝ですよ! しっかりしてください!」
「朝が何だ。朝が来たからって昨日のお前の有様はなくならないぞ」
「だからはずかしいんです!」
「んーー」
「ひゃ…」
榎木津の前髪が乱れて形のいい鼻梁に流れているのをぼうっと見ていたら、髪の間でこちらを見ている目と目が合った。蕩けそうな顔で笑うのに益田の心臓が止まりそうになるのを知ってか知らずか、ずるずるとすり寄って来る。
『な…なんか大変な事になってるぞ…』
惜しみなく発揮される欲を散々吐いた後に残る混じり物のない愛情がいたたまれなくて益田は顔を逸らそうとするが、逃げようとすればするほど寄って来る。好き放題やってすっきりしたらこんなにデレデレになるとは予想外だった。これだったらやるだけやって放り出された方がマシな気がしたが、それなら自分の貧相な身体じゃなくてもいいだろうというのが分かるのがまたなんともいたたまれなかった。
「お前がはずかしくったって知らないぞ…」
「ふぐっ」
「お前は自分が幸せなことを恥ずかしいと思ってる。そんなことにつきあってたらなーんにもできない」
「うー」
「できないんだぞ」
「ひー」
抱き締めて来るのを半泣きで受け止めていたら、榎木津は満足げにまた眠りについた。
「え、あの」
「ぐー」
「榎木津さん?」
「ふがー」
「……」
ふごーとかふぐーとか鳴っているのを聞いていたらやっぱりバカバカしくなって、益田は腕を投げ出した。結局こうなるのに、いちいち身体が反応したり、心臓が鳴ったり、芯が焼け落ちそうになるくらい気持ちが高まるのが忌々しい。
窓の外から聞こえて来る健全な雀の鳴き声にうんざりしながら、益田も目を閉じた。榎木津が最後に何か言っていた事を考えないようにしながら、毛布を引き上げた。