B-1.幸せですか?



「うふふ」

 おそらく名前も聞いた事がないであろう酒気が身体に溜まらずに毛穴から抜けて行くような上等な酒を口に含み、益田は差し向かいで飲んでいる榎木津に機嫌良く笑いかけてきた。榎木津は何も言わずにコップを宅に置き、ソファにふんぞり返って益田の様を眺めた。

「えのきづさあーん。幸せな夜ですねえー。ふふふー」
「そうかい」
「ええーもう僕ァごきげんですよー」

 上気した顔がだらしなく緩み、宙に浮きそうなくらいはればれとした様子でグラスを空ける。無言で見ていた榎木津は益田の手が届く前に酒瓶を取り上げた。

「あ、あ」

 意地悪に笑って瓶を振ってみせると、益田は立ち上がり、フラフラとローテーブルを避けて榎木津の元に歩み寄った。

「榎木津さあん、べつにそんなに飲んでないじゃないですかあー僕にくださいよう」
「取ってみろ」
「むー」

 指先からすいすいと逃げて行く瓶をバカ正直に追いかけて行くしか頭が働かない状態だったので、ソファに膝をつき、榎木津の右頬に胸を押し付けるようにして身体と手を伸ばし、左手の先でフラフラ揺れている酒瓶をつかもうとしている所をいとも簡単に右腕で押さえ込まれた。

「ふぐ」

 背中を押さえられ、頬と頬が触れあう。益田はとろんとした目で間近に迫った琥珀色の瞳を見ていたが、嬉しそうに笑うと顔をすり寄せた。

「うふふ」

 榎木津は、首に抱きついてなつっこい犬のように愛情をひけらかす益田の頬にキスした。益田は照れもせずにくすぐったそうに笑い、目を閉じて抱き締めて来た。落としそうになった酒瓶をテーブルに置いたらその手を掴まれて握られた。
 普段益田がこういう気持ちを殊の外恥ずかしがったり、ごまかしたりする理由を榎木津は知っている。神に向かって身の程知らずにも全く平凡に心配したり愛したりしていて、あわよくば守りたいとか思っていて、それが凡人なりに無謀かつ無策である事を自覚しているからだ。

「んんー」

  首筋に額を押し付けてムームー言っている見習いの髪を撫でてやると、ぐふふと笑った。おかしくてぐちゃぐちゃと頭かき回すとまた変な声で笑う。髪に頬を寄せて目を閉じると、酒が胃に落ちて熱が広がるように緩くあたたかいものがこの凡の極みのような男から伝わって来る。
 自分の一番の価値に気付かず、いつも至らない所ばかりを一枚二枚と数えながら薄い光をものほしげに見つめるオロカ者。凡なまま神を愛したバカオロカ。

「益田」
「ふあい」

 益田は身体を離し、素直に返事をしてうっとりと榎木津を見た。榎木津はにこりと笑って言った。

「来い」

 益田はへなりと笑うと、榎木津の肩に手を置いてそっと押した。

「榎木津さあん。僕ァ今、とてもとてもしあわせですー」
「そーか」
「榎木津さんはーしあわせですかー?」
「ン?」

 ここまで浮かれていながら、この期に及んでそれを聞くこの愚鈍さが少し今日はかわいかったので、何事か言ってやると少し笑って榎木津の上でモゾモゾと動き始めた。目を閉じてなすがままになっていたら、本当に調子に乗り始めたのでぽかりと殴ったら、いかにも凡にデヘヘと笑ってごまかした。



BACK

京極堂TOP

TOP