約束だから


 相変わらず書物から顔も上げず、中禅寺はひとつ菓子をつまんでから天気の話でもするように益田に言った。

「…で、君は榎さんにどう責任を取るつもりなんだね」

 ブッと茶を吹いた探偵助手に迷惑そうな冷たい目を向け雑巾を放った。

「汚いなあ」
「ちゅ、ちゅ、中禅寺さんが不穏な事言うからじゃありませんか! あ、あービックリした! 何言ってるんですか全くもう」

 わたわたと動揺したまま渡された雑巾で座卓を拭いていた益田に、中禅寺は追い打ちをかけるように言った。

「君は、あの特殊な男の中のかなり特殊な位置にいる。君の絶妙としかいいようのない、いいにつけ悪いにつけ徹底してそこそこな、どうにも煮え切らない所が彼の誰にも見せない処にぴったりはまっていてね。だから君を手放す事はできなくなってしまったんだ。どうするんだね」

 益田はゴン、と頭を座卓に打ち付けた姿勢のまま、低い低い声で言った。

「ちゅ…、中禅寺さん。あなたが言うと冗談に聞こえないんですが…」
「冗談でこんな面白くない事を誰が言うか。僕はありのままを言っているだけだ」
「もっと悪いですよ! なんですかその妙な言い回しは! 責任がどうとか、手放す事ができないとか、まるで僕が若い娘さんにお手つきをしたような言い草じゃありませんか! 」
「それより悪いね。あの男いいかげんおじさんだし」
「な、なんですかそりゃあ!」
「若い娘さんなら、嫁にもらうなりなんなりして責任取ればいいがね。まあ、責任取るための結婚というのは一生その娘さんに奴隷のように付き従う約束をするという事で、考えてみればこの言い回しはずいぶん娘さんには迷惑な話だが、おじさんの場合その選択肢すらないからなあ」
「なにスラスラとおそろしい話してるんですか! ボッ、ボボボボボボカァなにもしてませんよっ!」
「…君にはまあ、災難と言うか、天災と言うか、お気の毒としか言いようがないが」
「流さないでくださいっ!」
「いいじゃないか。そうだな。どうせ責任なんて取れっこないんだ。腹を決めてしまったらどうだ? 榎さんと過ごす一生は、ろくでもない事も多かろうが思い出も多い人生になるぞー。君はそういう人生を求めて安定した公務員を辞めて薔薇十字探偵の助手なんていう阿呆なものに志願したんじゃなかったのか? 渡りに舟じゃないか。」
「……フ、フフフ…」

 正座から腰の引けた中腰になって、益田は顔を引きつらせながら無理矢理笑った。

「言葉でだんだんとそんな気にさせていくという手には引っかかりませんよ中禅寺さん。ボカァ自慢じゃないが関口先生ほど繊細でも図太くもないんです。こ、こわい話してショック状態にしてそのよくわからない理屈を飲み込ませようったってそうはいきませんからね!」

 中禅寺は腕を組み、つまらなさそうに益田を見た。

「だから僕はきみをペテンにかけている訳ではなくてありのままを言ってるだけだと言ってるだろう。君と榎さんが何がどうなった所で僕に何の影響があるっていうんだい。半端に頭と勘がいい分飲み込みが悪いんだ君は」
「大きなお世話です! 大体ですね」
「うん?」

 益田は口をパクパクと動かした後、やけっぱちに言った。

「将来を約束しあって、あの人がそれでどうにかなる訳ないでしょう。ちゅ、中禅寺さんの言う通り、榎木津さんが僕をーーーーひ、ひつようとかだったりしても、そんなのありえません。白鳥に南の島で生きろって言ってるようなもんです。い、今のままが一番いいんです。僕にできる事なんてそのくらいです」
「ふうん。白鳥の方は極楽鳥に無理に寒さにつきあってもらっても嬉しくも何ともないだろうが」
「誰が極楽鳥ですかっ! か、帰りますよ僕は! 奥様によろしく!」
「何しに来たんだ君は」
「忘れましたよおかげさまで!」

 益田は立ち上がりながら中禅寺の方を向いていたので、障子を開けたとたん入ってこようとしていた人間と真正面にぶつかった。

「ふぎゃっ! ……あっ!!」
「ん?」

 胸に当たって来た下僕の顔を見て、榎木津は眉をしかめた。後、むうと唸って益田の頬をひっぱった。

「いたたっ! なにするんですか榎木津さん!」
「…お前、僕の悪口を言っていたろう」
「え、ええっ!? なにを、そんな、滅相もない」
「じゃあなんでそんなに慌ててるんだ。すっかりマスオロオロカ状態じゃないか。見苦しすぎる」

 じいっと見入られて、益田は頬のみならず首筋から耳まで真っ赤になった。怪訝な顔をする榎木津の手をむしり取って、バタバタと中禅寺家を出て行ってしまった。

「……」

 榎木津は、どこ吹く風と涼しい顔で読書に戻っている古本屋を睨みつけたが、何も言わずいつもの定位置にごろりと横になった。

「…相変わらず、往生際が悪い人間ばかりと縁がありますね、あんたは」

 榎木津はフンと笑って「お前がいうな」とだけ言って目を閉じた。


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