青い空をバックに、志波くんの長い腕がわたしに向かって白いボールを投げた。それがあんまりにものびやかできれいでかっこよかったので、みとれていたわたしはうっかりそのボールを頭の後ろに見送ってしまった。運動場をてんてんと転がっていくボールを慌てて取りにいくわたしの背中に、志波くんがなにやってんだ、みたいな事をわたしだけがわかるやさしい感じで言った。

『うう…』

 わたしはやっと追いついて拾い上げたボールをぎゅっとにぎって、くうう、と唸った。

『志波くんたら、人の気も知らないで!』

 チラリと見ると,志波くんは腰にグローブをはめた手をあててこちらを見ていた。白いシャツといかついグローブをつなぐスラリとのびた腕がとってもモエる。腕だけじゃなくて、広い肩も、締まったがっちりした腰も、脚も、いつもはぼうっとしてるのに、たまにすごく鋭くなる顔もいい。と、はるひちゃんに言ったら『今のアンタなら、志波のいびきでもウイーン合唱団に聞こえるんとちがう〜?』とか言われてしまって、失礼ねとか思いつつも否定できないような、なんかすごく今メロメロな状態だった。なのに、当の志波くんはのんきにわたしの持ってるボールをよこしなさいという感じでグローブをゆるゆるとふっている。

『うーーっ』

 わたしはちょっと頬をふくらませて、やつあたりするようにえいやっと志波くんの身長を持ってしてもかなり高めにボールを放った。けれど、やっぱり志波くんは全身をのばしてなんなくグローブにボールを収めてしまった。

「へたくそ」

 余裕満々で笑って、ほい、とまたボールを投げて来る。とっても憎らしいけれど、やっぱり何から何まで魅力的で、実の所わたしは日々辛抱たまらない。

『うーーーーっ、ど、どうにかできないかなあ!』

 あのしなやかな腕を、しっかりした肩を、ごつごつした長い指を、広い胸を触りたくてたまらない。(どーん!)わたしとキャッチボールして何が楽しいんだかわからないけれど、大層機嫌良くボールを放って来る志波くんを前に後ろめたい気持ちになりつつ、なにかわけのわからない衝動とわたしはけなげに戦っていた。

『うーっ、どうしたらいいんだろう。志波くんっていけいけな女の子好きじゃないみたいだしなあ…』

 遊びにいく時着ていく服の反応から見て、いわゆる女っぽさを全面に押し出して来る感じが苦手らしい。その清潔さは嫌いじゃないけど、じゃあどないせえというのという感じである。クラスの男の子がヤンマガのグラビアとか見て好き勝手な事言ってるの見てなんだかなあとか思ってたけど、あのくらいのほうがまだ付け入るスキがあるような気がする。あの男の子達の顔を思いだす。志波くんが女の子に対して、ちょっと下品な気持ちになることがあるなら、どんなふうになるんだろう?

「! 、小波!!」
「へっ」

 声に我に返ると、すぐ目の前にボールがあった。反射的に身を屈めると、ボールが髪の生え際をこすっていくザリッと言う音が耳に残った。

「大丈夫か!?」
「あ…、志波くん、へいきへいき。ははは…」
「何ぼうっとして…。見せてみろ」
「わあ」

 てんてんと転がっていくボールをそのままに、志波くんはへたりこんだわたしの前にひざをついて髪をかきあげた。

『ひゃ〜』
「ああ、赤くなってる。冷やすか」
「だっ大丈夫だよこのくらい…」
「バカ、跡になったらどうする。」
「……」

 わたしは指がおでこに触れただけで耳の後ろが脈打ってるのを感じているというのに、志波くんのこの冷静さと来たらどうだろう。勝手ながらほんとうに腹が立つけれど、それを補って余りある程かっこいいわあなどと思っていたら、志波くんの手を無意識に掴んで指を撫でていた。

「……あ」
「……」

 笑ってごまかそうとして顔を上げたけれど、志波くんの顎が目に入った時に首から耳まで真っ赤になってしまって、また下を向いてしまった。とっても気まずいこういう時、志波くんからのフォローはまず望めない。なんとかしなきゃと思うけれど、思えば思う程わたしは運動場の片隅で志波くんの指をしっかり掴んだままオタオタするばかりだった。

「………」
「………」

 とりあえず手を離そうと指を動かすと、それに誘われるように志波くんの長い指が動いて、大きな手がわたしの手を包んだ。

『わっ、えっ、ひゃっ!?』

 わたしの手を握っている志波くんの手が、何かを確かめるようにうにうにと動いた。志波くんの手からはみ出ているわたしの指がそれに合わせて動いているのがなんともいたたまれない。けれど、正直言って嬉しいので抵抗せずに力を抜くと、志波くんの手がキューッとわたしの手を握りしめた。

『ひ、え、え』

 わたしの手が志波くんの手をやわらかくゆっくりと受け入れていく。一杯にしなって、もうこれ以上はだめ、というように指先がひくっと動いたとき、わたしは叫びながら立ち上がっていた。

「わーーーー!! わーわー!!!」
「小波!?」
「うきゃーーーーーー!!」

 志波くんの手を振りほどいて、腕をバタバタ振りながらボールが転がっていった方へ走っていった。真っ赤になって何やらわめきながら走り回るわたしを志波くんはポカンと見ていたけれど、ブッと吹き出して、多分親も聞いたことなさそうな大きな声で爆笑し始めた。

「わらうなーーーーー!!」
「な、なんなんだお前…ははははははは!」
「うるさーーい! 人の気もしらないでーーー!!」

 笑いながら追いかけて来た志波くんにその長い腕であっさり捕まえられるまで、わたしは叫びながら運動場を駆け回った。